今回の記事では、オランダ出身の画家 フィンセント・ファン・ゴッホを紹介します。
後期印象派の代表的な画家として知られるゴッホは、その作品が100億円を超える額で取引されるなど世界的に高い人気を博しています。
自ら耳を切り落とすという有名な事件や自殺でその生涯を終えたことから、人生に苦悩しながらも情熱を芸術に注いだ激情家の天才画家というイメージが強いゴッホ。その人格形成と作風には家族との関係と若い頃の経験が強く影響していたようです。
1853年、牧師を父として生まれたゴッホは十代の頃から画商として働き始めます。後に4歳年下のテオも同じく画商となり、生涯にわたって彼を経済的に支援することになります。
ゴッホはその後教職に就いたり、聖職者を目指して挫折したりと自身の将来を定めあぐねます。そうしてほぼ無職のような状態に陥った時、絵を描くことに取り組み始め、生きる活力を取り戻していったそうです。
30歳を過ぎたころ、実家に戻ったゴッホは本格的に画家を志し、創作活動に勤しむ日々を送りますが、経済的には弟テオへの依存が続きます。自身の画家としての成功への不安や、友人や父親との衝突を繰り返したことで彼は精神的孤独を募らせていきました。
この友人や家族との不和、自身の将来への不安、精神的な孤独といった要素は、社会にうまく適合できない男フィンセントを作り上げました。そして彼は絵を描くことで自らの存在価値を証明しようとするかのように、ここから膨大な数の絵を描きました。ゴッホにとって、描くことは生きることとほぼ同義だったのです。
ゴッホが命を絶ったのは37歳の時、本格的に創作活動を始めてからわずか数年のことでした。その数年間に、彼は後に名作と評される作品の数々を描きましたが、生前は画家としての大きな成功を掴むことはできませんでした。
今回の記事では、そんなゴッホの画家としての短いキャリアを4つの時代に分け、その時期の代表作と共に紹介していきます。
最高評価は☆×5つ。★は0.5点分です。
①「家族との軋轢と画家へのあこがれ」時代
1883年の末ごろから約2年間、ゴッホは家族と共に過ごしながら創作活動に励みました。一時は聖職者を目指した彼ですが、その視線は聖書の世界ではなく、つつましく暮らす人々や身の回りの静物、身近な自然に注がれていました。
秋のポプラ並木/1884年
夕暮れ時の並木道とその先に佇む家を描いた作品。まだ画家としての個性を発揮するには至っていませんが、憂鬱な帰り道を思わせるような寂しい色使いは家族との良好とは言えない関係を暗示しているかのようです。
評価☆☆☆★
ジャガイモを食べる人々/1885年
つつましく生きる農民たちを描いたゴッホ初期の代表作。
決して写実的とは言えませんが、色によって表される独特のリアリティが迫力満点で、色の力を使いこなす作風がすでに見られます。
評価☆☆☆★
タンギー爺さん/1887年
1886年、実家を離れたゴッホは弟テオを頼ってパリへと出てきます。そこで出会った画家仲間やパリの風景から受けた刺激を作品に反映させ、豊かな色彩が表れるようになります。画材店の主人をモデルとし、背景には日本がを配した本作は、新たな刺激を直ちに作品に取り入れていたことを象徴するような作品です。
評価☆☆☆
②「共同生活への希望と絶望」時代
1888年、南仏の街アルルに移ったゴッホ。以前テオからの援助を受けながらも、有名な黄色い家を借り、そこで画家仲間たちとの共同生活を計画します。
志を共にする仲間との暮らしは、創作上のインスピレーションの面でも経済面でも、理想的なものとなるはずでした。ゴッホは期待に胸を踊らせながら、意欲的に創作に励みます。
しかしそこにやって来たのはゴーギャンのみであり、そのゴーギャンとも意見の相違が絶えず、ゴッホが自らの耳を切り落とすという事件が発生。
彼が夢見た理想の共同生活はあえなく崩れ去りました。
麦畑とポピー/1888年
かつてない希望に満ちていたゴッホは、明るい色彩で温暖な南フランスの風景を描きました。暖かい日差しと穏やかな空気感が伝わってきます。
翌年以降に描いた風景画と比べると背景となる空の描き方が明確に異なり、この年が画家としての転換期となっていることが伺えます。
評価☆☆★
ひまわり/1888年
この時期、ゴッホはひまわりの絵を何度も描きました。画室をひまわりの絵で飾る構想を持っていたそうです。黄色い花を黄色い花瓶にさし、黄色いテーブルに置いて黄色い壁を背景に描いた本作は、ゴッホの配色へのこだわりを感じさせます。
評価☆☆☆
夜のカフェテラス/1888年
カフェの黄色い光は舗道に写るほどの異様な輝きを放っており、「ひまわり」でも見せた黄色への執着が感じられます。背景をさりげなく彩る紺色の夜空と黄色い星は、後の作品でも何度となく描かれることになりました。
評価☆☆☆☆
ローヌ川の星月夜/1888年
紺色が支配的な画面の中に、荒い筆致で星空のまたたきと夜空の深さ、海面に反射する光のきらめきと海の暗さを描き出しています。意味深に佇む二人はまるでキャンバス越しにこちらを見上げているようで、星の視点から下界を見下ろしている感覚を生んでいます。
評価☆☆☆★
アルルのゴッホの部屋/1888年
画家仲間たちの到着を心待ちにしていたゴッホの期待と寂しさが表れているとされる傑作であり、彼の作品中でも特に広く知られる代表作です。
歪んだ平衡感覚は期待、心配、焦りなどが入り混じった不安定な精神状態を感じさせます。
評価☆☆☆☆
赤い葡萄畑/1888年
アルル滞在期間の終盤に描かれた作品であり、ゴッホの生前に売れた唯一の作品と言われています。のどかなの光景を描いていますが、そこに穏やかさやきらめきは既になく、荒々しいタッチが全面に表れています。
評価☆☆★
③「療養所での自然との調和」時代
希望をもって始まったアルルでの暮らしが衝撃的な事件で幕を閉じた後、ゴッホの精神はさらに闇を増した孤独に苛まれるようになりました。療養所に入って過ごすことになったゴッホは時折ひどい発作に悩まされながらも、より自身の内面世界を表出させ、それを自然の風景に投影したような作品を作ります。
糸杉/1889年
黒々としたうねる糸杉がキャンバスの半分を覆いつくし、それに呼応するように周囲の草花、奥にそびえる山々、そして青空と雲がうねりを見せています。まるで糸杉が自然の世界を支配し、命を与えているかのようで、畏怖の念が感じられます。
評価☆☆☆☆
星月夜/1889年
高くそびえる夜の糸杉の向こうでは、家々にかすかな明かりが灯り、山々の上で星空は渦巻いています。それぞれを象徴する色が絶妙に配置され、それらは今にも混然一体となっていきそうな緊張感を持っています。世界が混沌としていく、その直前の一瞬が持ち得る美しさを切り取ったかのような作品です。
評価☆☆☆☆★
アルルのゴッホの部屋/1889年
アルルで暮らした頃の自作を模写した作品。
家具の配置は忠実に再現している分、色のくすみと細かい線が目立つようになり、より神経質になった印象を受けます。
評価☆☆☆★
自画像/1889年
ゴッホは生涯にいくつもの自画像を描いていますが、晩年の本作では自然を描く時に用いたような渦巻で自身を囲っており、決意に満ちたようなその表情とともに、自然が人に与える畏怖の念を自身にも持たせようとしているかのようです。
評価☆☆☆
④「命の出入り」時代
1890年に入ると、弟テオに子供が誕生し、自身の作品が初めて売れ、療養所を退所したゴッホ。苦難に満ちた彼の人生にようやく一筋の光が差し込めてきたかに思えたその矢先、同年7月にゴッホはこの世を去ります。銃創を負った状態で発見された彼の死は自殺というのが一般的な見解ですが、謎を多く含んでおり未だに議論がつきません。
花咲くアーモンドの木の枝/1890年
子どもが生まれたテオに送ったとされる本作は、晩年のゴッホの他の作品と比べると物足りなさを感じるほどさりげなく飾り気のないものです。しかし、清々しさと荘厳さを感じる筆致と配色で描かれた花、枝、背景は、新たな生命への期待と喜び、力強さと同時に儚さも携えた傑作です。
評価☆☆☆☆★
糸杉と星の見える道/1890年
療養所で描いた最後の作品と言われる本作は、この時代の特徴的なモチーフである糸杉、夜空、月を渦を巻くように描いています。流れるようにうねる道に佇む二人の人物の配置は「ローヌ川の星月夜」を想起させます。まさにアルルでの暮らしから診療所での創作活動までを総括したような集大成的作品です。
評価☆☆☆★
オーヴェルの教会/1890年
療養所を出たゴッホが向かった村オーヴェル=シュル=オワーズは彼の終の棲家となりました。そのオーヴェルの教会を描いた本作では、教会は荘厳で神聖なものには到底見えず、むしろ禍々しい建物として写っており、すでにそこに救いを求めることはできなかったゴッホの心理が表れているかのようです。
評価☆☆☆★
医師ガシェの肖像/1890年
ゴッホがオーヴェルで懇意にした医師を描いた肖像画。
ゴッホは医師でありながら絵を描き美術を愛好する彼に親近感を抱いており、その神経質気味な性質にも共感を示していたそうです。憂鬱そうな表情にも関わらず、教会よりもはるかに温かみが感じられます。
評価☆☆☆
さいごに
いかがでしたか?
短い人生の中で、心の病に命をすり減らしながら、それでも生きるために、自らの存在を証明するために描き続けたゴッホ。
彼の魂が乗り移っているかのような実物の絵画の絵の具の乗りは必見です。
ぜひ一度美術館へ見に行ってみてください。
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