今回の記事では、イギリス出身の映画監督 アルフレッド・ヒッチコックを紹介します。
ヒッチコックは戦前のサイレント期から長く映画界で活躍。映像表現における数多くの演出テクニックを発明し、サスペンス映画の傑作を連発したことから、サスペンスの神様とまで称されました。
映画監督フランソワ・トリュフォーがヒッチコックにインタビューした有名な「映画術」の中で、ヒッチコックはミステリーとサスペンスを明確に区別しています。
彼が描いていたのはサスペンス的状況に陥った時に生まれる人間の葛藤や恐怖です。ストーリーはその心理描写を映像で表現するための状況設定でしかありません。それゆえ、ミステリーにおいては最重要である謎の答えは、ヒッチコック作品においては多くの場合どうでもいいものとして扱われているのです。
そしてヒッチコックの功績は何と言ってもそのサスペンス的状況を生み出す卓越した演出技法にあります。透明な天井、ミルクに入れた電球、有名なめまいズーム、サイコのシャワーシーンのモンタージュなど枚挙に暇がありません。
しかしそれらの技法はあくまでも娯楽性のために用いられており、観客にはそれが革新的な手法であったり、特殊な撮影技法であるとは気がつかせないところがヒッチコックがヒッチコックたる所以です。
芸術のためでも、技術の進歩のためでもなく、全ては観客を楽しませるおもしろい映画を作るため。そして結果的に、娯楽性を追求し続けたことでそれを芸術の域にまで昇華させてしまったのがヒッチコックなのです。
今回の記事では、そんなヒッチコックのキャリアを4つの時代に分け、おすすめ作品のレビューと共に紹介していきます。
最高評価は☆×5つ。★は0.5点分です。
①駆け出しのイギリス期
1899年、イギリスで生まれたヒッチコックは字幕のデザインを担当したことから映画業界に携わるようになります。1925年に「快楽の園」で監督としてデビューするチャンスを得ると、1927年には自身初のサスペンス映画「下宿人」を制作。30年代に入ると優れた作品を次々と発表し、その手腕が注目を集めてハリウッドから招かれることになります。
暗殺者の家/1934年
ヒッチコックが得意の巻き込まれ方のストーリー展開を確立した作品。
歯医者での成り代わりシーンなど随所にユニークなサスペンス描写が散りばめられていますが、終盤の長すぎる銃撃戦を筆頭に、後年のセルフリメイクである「知りすぎていた男」と比べてしまうと緊張感の欠如は否めません。
評価☆☆
三十九夜/1935年
ヒッチコックのイギリス時代の集大成的作品。
テンポよく進むストーリーの中に列車や羊の群れ、手錠、そして何と言ってもミスター・メモリーと効果的なギミックを散りばめており、無駄のない展開は物足りなさを覚えるほどです。
特に手錠は相変わらず取ってつけたようなロマンスを盛り上げており、小粋なラストカットにも役立っています。
評価☆☆☆★
バルカン超特急/1938年
そこにいたはずの人が忽然と姿を消し、誰もがそんな人はいなかったと言う。覚えているのは自分だけで、記憶すら疑わしくなる。そんな不条理劇のような展開は早々に切り上げ、老女探しのミステリー、犯人とのスリル溢れる攻防、そしてクライマックスの銃撃戦と息もつかせぬ展開で走り抜け、最後にはロマンスのおまけつきと、ヒッチコックのサービス精神が爆発した盛りだくさんのストーリーです。
評価☆☆☆★
②挑戦のハリウッド期
40年代以降はハリウッドで活躍を続けたヒッチコック。アカデミー作品賞を受賞した「レベッカ」、ライトなコメディの「スミス夫妻」、プロパガンダ色の強い「海外特派員」など第二次大戦の最中は外的要因の影響もあって作風の幅を広げていきます。
レベッカ/1940年
夫の前妻との比較に困惑する新妻。メイドが執拗に前妻との比較と嫌がらせを繰り返すメロドラマ的な展開が心霊的な雰囲気を漂わせながら進みます。
夫が秘密を明かした後の30分は話をきれいに終えるための蛇足感があり、後年の「疑惑の影」のように心理描写に特化していればと思ってしまいます。
評価☆☆★
海外特派員/1940年
傘の群衆、逆回りの風車、海面に不時着する飛行機とギミックや場面設定が優れており、見せ場に事欠かない作品。ヒッチコック得意の巻き込まれ型ではなく、主人公が自らトラブルに突入していく展開や、空襲の中でもくじけないラストシーンは戦時下に制作された影響を強く感じさせます。
評価☆☆☆
疑惑の影/1943年
叔父への疑惑が自らの身に迫る恐怖へと変わっていく過程を地味ながらも丁寧に描いた佳作。
設定から結末まで、劇的な要素を意図的に抑えるかのような演出がじわじわとした恐怖を見事に表現しています。
ストーリーとしては物足りなさが残りますが、完成されつつあったヒッチコックの演出テクニックを楽しむには最適な作品です。
評価☆☆☆
③円熟の絶頂期
戦後の十数年間はヒッチコックにとってまさに絶頂期とも呼べる時期となりました。脂の乗り切った手腕を遺憾なく発揮し、名作傑作を毎年のように連発していったのです。この頃には初期の自作をリメイクするなど、さすがにネタ切れ感も漂い始めますが、作品の質の充実度は異常な程です。
ロープ/1948年
ヒッチコックのあふれる実験精神を詰め込んだ異色作。
全編1カットな上、上映時間と作中の時間をリンクさせるという荒業を見せています。そのテクニック自体はおもしろく飽きずに観られますが、やけに哲学的なストーリーを効果的に盛り上げるどころか、処理しきれていない印象を受けます。小手先の技術に振り回され、本筋をないがしろにしてしまったヒッチコックらしからぬ作品です。
評価☆☆★
見知らぬ乗客/1951年
交換殺人をテーマにとったヒッチコックの代表作。
理不尽な巻き込まれ方でなく、主人公にもやましい部分があることがストーリーの肝になっています。
テニスの試合の首振りシーンが生む不気味さ、テニスとライターのカットバックが生むサスペンス、クライマックスで暴走するメリーゴーランドが生むスリルなど、効果的な演出の数々は映像演出の教科書とも言えます。
評価☆☆☆☆
ダイヤルMを廻せ!/1954年
同名の舞台劇の映画化であり、ほぼ全編にわたって室内で展開されるミステリー色強めの1本。
トリックや謎解きを含めたストーリーにはそれほど驚きがありませんが、安定した演出で安心して観られます。
裁判シーンのチャレンジングな視覚表現は、場面を持ち出さないことで観客の意識を留める効果と同時に、心理描写としても印象的です。
評価☆☆☆★
裏窓/1954年
シチュエーションスリラーの先駆的傑作。
場面を限定したことで、謎解きのストーリーよりもサスペンス的状況を描くことを重視したヒッチコックの手腕が冴えわたり、状況説明を1カットで済ませてしまう冒頭のカメラワーク、双眼鏡やカメラといった随所で活躍する小道具、ゴージャスでアクティブなヒロインの活躍と見どころをこれでもかと詰め込みながら、1シチュエーションだけで作品を見事に成立させています。
評価☆☆☆☆★
知りすぎていた男/1956年
イギリス時代の自作「暗殺者の家」をセルフリメイクしたヒッチコック得意の巻き込まれ方サスペンスミステリー。
小道具を効果的に使った演出を数々生み出してきたヒッチコック。今作では名曲ケ・セラ・セラを小道具として絶妙なタイミングで投入しています。
しかし唯一の手がかりである遺言がアジトの場所を示しているというのは、あまりにもそのまますぎて、ストーリーのおもしろみには欠けてます。
評価☆☆☆
めまい/1958年
作品全体に漂う幻想的な雰囲気は、物語のミステリアスな側面よりもロマンスとしての側面を際立たせています。高所恐怖症の元刑事という状況設定、サンフランシスコの場面設定、妄執的な愛情表現、言わずと知れためまいショットとディティールやギミックは魅力的なのですが、本筋のおもしろさが今一つで、ミステリー風メロドラマの域を出られていません。
評価☆☆☆
北北西に進路を取れ/1959年
アクション、スリル、ミステリー、ロマンスとあらゆる要素を胃もたれしそうなほど詰め込んだヒッチコックの集大成的な作品。
飽きることなく観られますが、人違いで巻き込まれるパターンには新鮮味がありません。また、有名な飛行機の襲撃シーンは迫力がありますが、さすがに非効率的すぎて笑えてしまいます。ストーリーを真剣に追うよりも、こうした1つ1つのシチュエーションを単純に楽しむのが良いです。
評価☆☆☆★
④晩年の衰退期
60年代以降のヒッチコックはさすがに作品発表のペースが落ち、評価も下降していきますが、ヌーヴェルヴァーグの面々によってその功績を称えられたことで、単なる商業映画監督ではなく、映画芸術の発展に貢献した映像作家としての地位を確かなものとしました。
サイコ/1960年
その名の通りサイコスリラーと言えばコレというくらい、一つのジャンルを確立した名作です。
疑心暗鬼を巧みに映し出す心理描写でサスペンスフルな展開を見せる前半、ミステリアスな要素が増えてきて謎が深まる中盤、そしてショッキングな結末と物語の構成がすばらしく、マクガフィンを頼りに演出力でグイグイ押し切るのではない、技巧とストーリーテリングの秀逸な融合が見られます。有名なシャワーシーンのモンタージュは芸術の域です。
評価☆☆☆☆★
鳥/1963年
動物パニックものの元祖とよく言われる本作ですが、日常の中にじわじわと忍び寄る恐怖感、一匹なら何ともなくても群れを成すと生まれる不気味さ、立てこもる時の息の詰まるような閉塞感、原因も解決法もすべてを放り出して終える絶望的な終末感はむしろゾンビものを想起させます。
合成の稚拙さが時代を感じさせてしまいますが、悪意を持った者がいないことによる不気味な恐ろしさという点においてはヒッチコック作品随一です。
評価☆☆☆☆
フレンジー/1972年
晩年の低迷期に入っていたヒッチコックの復活作と評される本作。
鮮やかなオープニングに始まり、以前は規制上描けなかった猟奇性や変態性を押し出したストーリーを展開しています。主人公だけでなく犯人にもじゃがいもまみれのサスペンスを用意し、サービス精神旺盛さを発揮しています。とはいえ、全盛期のクオリティには及んでおらず、ヒッチコック作品の高いハードルを越えることはできていません。
評価☆☆★
さいごに
いかがでしたか?
ヒッチコックが築いた映画演出の文法は今でも映画、ドラマの演出にバリバリ現役で利用されています。普段は古い映画を観ないという方でも、シンプルに楽しめると思いますので、ぜひ一度ご覧ください。
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