今回の記事では、ポーランドの映画監督 クシシュトフ・キェシロフスキを紹介します。
1941年、ポーランドのワルシャワで生まれたキェシロフスキは演劇の演出家を志して学校に入学します。在学中に映画監督を志向するようになり、卒業後はドキュメンタリー映画の制作に乗り出しました。
しかし、街の労働者たちの暮らしを映し出した彼のドキュメンタリーは当時社会主義国家であったポーランドの政府から検閲を受けます。より自由な芸術的表現と、暮らしの中の真実を描くことを求めたキェシロフスキは、70年代後半から劇映画の制作を始めました。
ドキュメンタリー映画の制作で養われた社会を見つめる鋭い視点、リアリスティックな演出スタイルは後のキェシロフスキのトレードマークとなりました。
劇映画に進出しても、ストーリーの中で劇的な変化は起こしません。閉塞感のある社会の中に生きる人々が、少しばかりの変化や生きる意味を求めて行動し、抗いがたい運命に翻弄されていく姿を描きました。そこには人が追い求めるささやかな夢、愛、安らぎが映し出されています。
1996年、キェシロフスキは心臓発作により54歳の若さでこの世を去りました。残した長編劇映画は10本程度ですが、それらは世界各国の映画祭で数多く受賞しました。
また、1989年に手がけた全10話のテレビドラマシリーズ「デカローグ」はスタンリー・キューブリックを始め多くの映画制作者からの称賛を集めました。
本記事では、そんなキェシロフスキのおすすめ作品をピックアップして紹介します。
最高評価は☆×5つ。★は0.5点分です。
傷跡/1976年
キェシロフスキが劇映画に乗り出した頃の作品。
まだドキュメンタリーから脱皮できておらず、物語としてのおもしろみに欠けています。自身が信じて進む道が周りの理解を得られず、批判にさらされる主人公。「アマチュア」にも共通するテーマですが、何が正しいのかは誰にも分からない、不安定さと虚しさはキェシロフスキ作品に後々にまで続く特徴です。
評価☆★
アマチュア/1979年
映画制作に没頭しすぎるあまり、家族からも見放される男を描いた身につまされるお話。
娘を撮るために買ったカメラがきっかけで、主人公は記録映画の撮影を任されます。カメラを通して周りを見ること、そしてそれをつなぎ合わせて一つの作品とすることの面白さを発見した男はそれにのめりこんでいきます。周囲が望んだものを撮らないことによる軋轢、そして撮ることしかしなくなったことによる家族との心の乖離の果てに、男は顧みることのなかった自分自身にカメラを向けるのです。自分が良いと信じて突き進む道が、人に認められた時の喜び、人に喜ばれない時の不幸は何かに打ち込んだことがある人ならば誰もが共感できるでしょう。キェシロフスキ自身の想いも多分に投影されているであろう初期の傑作。
評価☆☆☆☆★
偶然/1981年
もしもあの時、あの選択が違っていたら、、という運命の分かれ道を3パターン順に描いたユニークな作品。
電車に乗れたかどうかで主人公の運命は違う方向へと転がっていきます。その主たる違いは政治的立場であることが当時のポーランドの社会情勢を表しており、それゆえに当時上映禁止処分を受けたそうです。しかし、その政治的立場は電車に乗れたかどうか、そしてその時出会った人によって変わってしまう、その程度のものであると感じさせるストーリーです。驚きのラストを観ても、結局どのパターン彼にとっての正解だったのか、分からないところがキェシロフスキらしい佳作です。
評価☆☆☆★
終わりなし/1985年
死んでからもなお妻を見守り続ける夫。失った夫の存在を忘れられず、何をしてもその穴を埋めることのできない妻。
一見ロマンチックなストーリーですが、その背景では政治的な要素が顔を出し、一筋縄ではいきません。夫への愛に身を投じる結末には、愛情の実りというよりも、困難からの逃亡という印象が残りました。
評価☆☆
殺人に関する短いフィルム/1988年
テレビドラマシリーズ「デカローグ」の一話を劇場映画として編集した1本。
緑がかった瞼を閉じかけているかのような映像の中で、タイトル通り二つの殺人をありのままに、容赦なく描写しています。タクシードライバーを殺した青年は、子どもとふざけて屈託のない笑顔を浮かべたり、かと思えば橋の上から下の車道に石を何気なく落としてみたり、行動がまるで子どものようにが描かれます。殺人のために彼がする用意と、彼を処刑するために用意される器具や儀式的な最後の一服が対比するように映し出され、人を殺すとは何か?殺人と処刑は何が違うのか?そういった感情を呼び起こす傑作です。
評価☆☆☆☆
愛に関する短いフィルム/1988年
こちらもテレビドラマシリーズ「デカローグ」の一話を劇場映画として編集した1本。
窓越しに覗く男と覗かれる女。あまりにも不器用でイノセントな男は愛に幻想を抱いていおり、その愛の対象は不幸にも愛を信じない女へと向かっていました。愛の形は人それぞれで、それが噛み合っていないことに気が付かなければ、人はすれ違い、傷つけ合い、孤独に陥っていく。その過程をミニマルな世界の中で描いた佳作。
評価☆☆☆★
ふたりのベロニカ/1991年
あまりにも儚く、美しいキェシロフスキの代表作。
異なる国で育った別人ながら、双子のようにうり二つの二人のベロニカ。二人の運命は神秘的に絡み合い、共鳴することで物語は展開していきます。この世界のどこかにいるかもしれない、もう一人の自分。それを恐怖よりも安心を与えてくれる存在として描いたところが素晴らしく、その存在を示す描写がなんとも詩的で、いわゆるドッペルゲンガーをこんなにもロマンティックに描いた作品は後にも先にもこれだけでしょう。主演したイレーヌ・ジャコブの存在がこの運命の儚さと美しさを見事に体現しています。
評価☆☆☆☆
トリコロール/青の愛/1993年
西欧でも評価の高まっていたキェシロフスキに対し、フランス政府は国旗のトリコロールカラーをテーマに映画制作を依頼します。そうして作られた3本の連作は結果的に彼の遺作となりました。
一作目では交通事故で家族を失った女性が喪失感から立ち直り、乗り越える過程を描いています。愛する者を失った女性を描くという点で「終わりなし」を想起させますが、今作の主人公はしっかりと克服し、前に進みます。そこに死者との交信のようなスピリチュアルな要素はなく、亡き夫の書きかけのレクイエムがありました。キェシロフスキの芸術への信頼と期待が伝わって来るようです。
評価☆☆☆
トリコロール/白の愛/1994年
トリコロール3部作の2作目にして、キェシロフスキのもっともライトな作品です。
性的不能を理由に離婚を突き付けられた主人公は途方に暮れますが、母国ポーランドに帰り暮らすうちにひょんなことから財を成します。そして自殺願望のある男を救ったことから友情が芽生えます。満たされていく主人公ですが、どうしても取り戻したかったのは妻からの愛でした。
キェシロフスキがこれまで深遠なタッチで描いてきた死や命、愛や人生といった要素はこの作品内では軽く扱われ、深みにはかけるものの、単純に楽しめるブラックコメディとしては随一です。
評価☆☆☆★
トリコロール/赤の愛/1994年
トリコロール3部作の最終作にしてキェシロフスキの遺作。
世捨て人のような老人の偏屈な心が明るく優しい女性との交流によって解きほぐされていく物語です。老人の境遇は近所に住む青年の身にも宿命的に降りかかり、まさに踏んだり蹴ったりな青年ですが、結末でその彼と一緒に救出されるのは例の彼女でした。フランス国旗の赤が意味する博愛をテーマにした本作において、彼女はまさに救いの女神のように描かれています。そしてこの場面では3部作で登場してきた主要人物たちが一堂に会することで、キェシロフスキらしい交差する運命を象徴させています。
評価☆☆☆
さいごに
いかがでしたか?
東欧の映画、特に80年代以前の作品はハリウッド映画はもちろん、フランスやイギリスの映画とも明らかに異なる空気感を持っています。キェシロフスキはドキュメントタッチだからこそ、それがより一層強いのかもしれません。
どこか切なく、虚しく、寂しい東欧ならではの雰囲気をキェシロフスキ作品で味わってみてください。
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