今回の記事では、世界一有名なロックバンド ザ・ビートルズのメンバーであり、人類の歴史上もっとも偉大なミュージシャンの一人であるジョン・レノンを紹介します。
ビートルズといえば1950年代に誕生したロックンロールをルーツにしながら「ロック」の礎を築き上げ、後のポップミュージックにおけるあらゆるスタンダードを作り出した偉大なバンドであるだけでなく、活動の後期にはロックを芸術の域に昇華したアーティストとして、モーツァルトやベートーヴェンに並び称される存在として音楽史上にその名を残しています。
そのビートルズのリーダーであり、ポール、ジョージ、リンゴをメンバーとして勧誘したのがジョン・レノンでした。
1940年にイギリスの港町リバプールで生まれ、間もなく伯母夫婦に預けられたジョン。その後それぞれの親と一時的に暮らすこともありましたが、安定した暮らしは送れず、父は蒸発し、育ての父である叔父も死去します。そんな中で彼の心の拠り所になったのは、当時エルヴィス・プレスリーを筆頭に、若者の間で急激に人気を博していたロックンロールでした。
ギターを手に入れた16歳のジョンは、実の母から手ほどきを受けることになります。間もなく作曲を始め、バンドを組んだジョンはライブに出るようになり、そこで友人に紹介されたポール・マッカートニーと出会います。後に盟友であり、生涯にわたるライバルとなる二人はこうして出会いました。さらにジョージ・ハリスンとも出会ったジョンは二人をバンドメンバーとして加え、ビートルズの原型を形作っていきます。
満たされない少年時代を経て、バンドという生きがいを見つけた17歳のジョンでしたが、彼を悲劇が襲います。ギターの手ほどきをしてくれた実の母が交通事故で突然この世を去ったのです。
失意に沈んだジョンでしたが、このショッキングな経験は彼の後の創作におけるインスピレーションになっただけでなく、母親をがんで亡くした経験を持つポールとの仲を深めることにもなりました。
その後、学校を卒業したジョンはメンバーと共にドイツのハンブルグに渡り、クラブでのライブに精を出します。この頃にはバンド名をビートルズとし、着実に実力と人気を上げていくと、1962年にレコード会社との契約を勝ち取ります。そしてなかなか定まらなかったドラマーにリンゴ・スターを据えると、ついに同年ザ・ビートルズはレコードデビューを果たしたのです。この時、ジョンは21歳でした。
デビュー後間もなく、ビートルズは爆発的な人気を獲得。発売する作品は軒並みチャートで1位を獲得し、その人気は瞬く間に世界中へと波及していきました。
世界中の若者から熱狂的な支持を受けたビートルズ。空前絶後の成功は彼らをスターに押し上げる一方で、彼らの心に不満を生んでいきました。
1966~67年頃、彼らはその狂騒から自ら距離をとり始めたのです。
前例のない規模の人気が引き起こしたライブ会場の巨大化は、音楽を聴くのに適した環境とは言えず、曲に耳を傾けるよりも彼らの姿に泣き叫ぶファンを彼らに見せつけました。これが彼らにアイドルではなく、アーティストとしての自我を芽生えさせます。そして絶え間ない世界ツアーとそれに伴う騒動は彼らを疲弊させました。ジョンの有名なキリスト発言もこの頃にメディアで取り上げられ、激しいバッシングを受けることになりました。
これらがビートルズをライブから遠ざけ、彼らをレコーディングに専念させることになったのです。そしてそれによって彼らは音楽的実験精神をもって創作活動に励むことが可能になり、ロックをポップミュージックの一ジャンルからアートへと昇華させていきました。
ファンが望む姿を演じるアイドルから、自我を持ったアーティストへとステップアップしたビートルズ。これはバンドとしての作品の幅を広げ、奥行きをもたらす一方で、メンバー一人一人のエゴを増長させることにもなりました。この頃、デビュー前から彼らをまとめていたマネージャーのブライアン・エプスタインが死去したこともそれを加速させました。
さらに時を同じくしてジョンが小野洋子と出会います。ジョンはヨーコの芸術観と東洋文化に魅了され、ビートルズとしての活動よりも、彼女との交流、そして共同作業に傾倒していったのです。
それぞれが一人のアーティストとして楽曲を制作するようになり、マネージャーを失い、これまでリーダーだったジョンがビートルズとしての活動に興味を失っていき、バンドが目に見えてバラバラになっていく中で、それを食い止めようとしたのがポールでした。
しかしポールの想いは、すでに心が離れつつあったメンバーにとって独善的な支配として写ります。こうしてメンバーそれぞれの志向の隔たりは明白になっていったのです。
そして1970年、誰よりもビートルズを継続させようと奮闘してきたはずのポールが脱退を表明したことでビートルズは事実上の解散となりました。世界一のロックバンドはデビューからおよそ8年という短い期間に数々の伝説を残してその役割を終えたのです。この時、ジョンは29歳でした。
その後メンバーはそれぞれソロとして活動を続けますが、ジョンは1976年以降表舞台から姿を消し、主夫としての生活を送りながら創作活動を続けていました。
そして満を持して活動を再開した1980年。アルバムをリリースした翌月に、ジョンは自宅の前で銃撃を受け、この世を去りました。40歳でした。
この衝撃的なニュースは世界中のファンを悲しませると同時に、ジョン・レノンを神格化し、彼の作品はその後も色あせることなく愛されるものとなりました。
ただ愛されることを望み、それを音楽で誠実に表現したジョンのピュアな楽曲は胸に強く訴えかけてきます。その一方で、正直さの裏返しとも言うべき歯に衣着せぬ発言や物議を醸したスキャンダラスな活動の数々もまた、ジョンの実直な人間性を感じさせるものとして記憶されています。
今回の記事では、そんなジョン・レノンがビートルズ時代からソロ活動までを通して残した作品をピックアップし、時系列順でレビューと共に紹介していきます。
最高評価は☆×5つ。★は0.5点分です。
プリーズ・プリーズ・ミー/1963年
ビートルズの記念すべきデビューアルバム。
まだカバー曲で半分近くを埋めていることもあり、50’s感から脱却できてはいません。それでも彼らの強力な武器の一つであるコーラスが全編にわたって輝いています。特に”Twist And Shout”はジョンの迫力のあるボーカルが強烈なインパクトを残します。
ただシングル曲とそれ以外の楽曲のクオリティとキャッチーさの差が歴然としており、アルバム全体の完成度は後の作品に劣っています。
評価☆☆★
ウィズ・ザ・ビートルズ/1963年
1stアルバムからわずか8ヶ月で発売された2nd。
前作同様半分近くをカバー曲で埋めているものの、前作よりレコーディングに時間をかけることができたためか、こなれたパフォーマンスになっています。
“It Won’t Be Long”を筆頭に、自作曲のクオリティも見るからに向上。テンポが早くノリのいい楽曲が目立っており、スターへの階段を駆け上がっていく当時の勢いを感じさせます。
評価☆☆☆★
ハード・デイズ・ナイト/1964年
ビートルズにとって初めて自作曲のみで構成したアルバムであり、その大半をジョンが手がけています。ポールも数は少ないながらも、”And I Love Her”、”Can’t Buy Me Love”と代表曲を生み出しています。
50’sのロックンロールやブルースの影響を感じさせながらも、得意のコーラスワークを駆使してビートルズサウンドを完成させており、彼らの初期の到達点とも言える傑作です。
評価☆☆☆★
ビートルズ・フォー・セール/1964年
クリスマス商戦に向けて急ピッチで制作されたらしく、前作から一転して再びカバー曲が半分近くを占めています。
しかしビートルズの代表的なカバー曲となった”Rock And Roll Music”、”Mr.Moonlight”を筆頭に自作曲と遜色ないパフォーマンスを披露しており、間に合わせとは思えないクオリティです。
また、ボブ・ディランの影響を受けたジョンの詩作が内省的なメッセージ性を帯び始めていることにも注目です。
評価☆☆☆
ヘルプ!/1965年
カントリーやフォークなどアメリカ音楽の影響を受けた楽曲が増え、音楽性の幅の広がりを感じさせるアルバム。
創作面でジョージが貢献するようになり、収録曲全体のレベルが底上げされています。
しかし、シングル曲である”Help!”、”Ticket To Ride”、”Yesterday”以外のキラーチューンに欠け、通して聴くと地味な印象を残します。
評価☆☆☆★
ラバー・ソウル/1965年
ビートルズのオリジナルアルバムにおいて、ポールよりもジョンの貢献度が高かった最後のアルバム。
前作で見られたカントリーやフォークへの接近はさらに推し進められつつも、彼らなりの解釈を披露しています。ロックバンドらしいハードな演奏はほとんど聴かれませんが、それゆえに曲の美しさと歌詞の持つメッセージが際立っています。
特に歌詞は”Drive My Car”、”Norwegian Wood”、”In My Life”と物語的要素の導入や哲学的なフレーズ、文学性の高い表現を見せた楽曲を連発しており、アーティストとしての飛躍を果たしています。
評価☆☆☆☆★
リボルバー/1966年
アイドルグループを完全に脱却し、アーティストとして完成された姿はアートワークの変化からすでに見てとれます。
ハードなギターがうなる楽曲から美しいコーラスが光るバラードまで、さらにはオーケストラの旋律やインド音楽の導入と新しい要素を貪欲に取り入れ、カオスになるギリギリのところで調和させています。
“Tommorow Never Knows”の先進性は、ビートルズが作り上げたポップミュージックのフォーマットがあらゆるジャンルに派生し、発展を遂げた今聞いてこそより驚きを持って聴くことができます。
評価☆☆☆☆
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド/1967年
ビートルズの最高傑作であり、ロック史上最重要アルバムとさえ言われることのある作品。
ただし、架空のバンドによるショーという設定に基づいてアルバムを構成する画期的なアイディアによる当時まだ珍しかったコンセプトアルバムとしての歴史的な価値としての評価が上乗せされている印象が個人的にはあります。
ジョンとポールの共作による名曲”A Day In the Life”は感動的ですが、それ以外の楽曲は全体的に小粒で飛び抜けていない印象です。
評価☆☆☆
マジカル・ミステリー・ツアー/1967年
同名映画のサントラに当時発売されたシングル曲を合わせてアメリカで売り出された企画盤でありながら、高い人気を誇る一枚。
作品としての構成や流れは当然ながら今一つですが、1967年という時代を象徴するサイケデリックな名曲”I AM the Walrus”、”Strawberry Fiellds Forever”が輝きを放っています。
評価☆☆☆★
ザ・ビートルズ/1968年
制作当時のメンバー間の不和が如実に現れており、それぞれのソロ作品集のような印象のアルバムです。統一感には欠けますが、その雑多さがむしろコンセプトと言えるほど、バラエティに富んだ楽曲が収録されており、ビートルズのバンドとしての器の大きさを感じさせます。
ポップでキャッチーでありながらヘヴィさも併せ持つポール、神々しいジョージ、いつも変わらぬ安心感を与えてくれるリンゴとそれぞれが個性を発揮する中で、ジョンは甘さと辛辣さ、美しさと激しさの両極を行き来しながら強いメッセージ性を各曲に込めており、後のソロ活動に直接的につながるアーティストとしての個性を確立しています。さらに”Happiness Is A Warm Gun”においては一曲の中にそれら全てを同居させる離れ業を披露しています。
評価☆☆☆☆★
アビイ・ロード/1969年
ビートルズの数ある名作の中でも特に高いセールスと評価を受ける名盤。
特に後半はアルバムのハイライトとして語られることが多いのですが、個人的には単体ではインパクトの弱い楽曲を継ぎはぎしたような印象を受け、未完成曲の断片的なダイジェストに感じてしまいました。
むしろジョンのヘヴィな2曲”Come Together”、”I Wnat You”とジョージの繊細な2曲”Something”、”Here Comes The Sun”の存在に心惹かれます。
評価☆☆☆
レット・イット・ビー/1970年
ビートルズのラストアルバム。
音源事態は「アビイ・ロード」よりも先に録音されていますが、満足いくクオリティではなかったことから発売には至らず、紆余曲折を経て解散後に発表されました。
制作背景通り、優れたシングルとアウトテイク集という印象は否めず、作品としての統一感や楽曲通しの補完性はあまり感じられません。
ジョンの貢献度はかつてないほど低いながらも、渾身の名曲”Across The Universe”を放っています。
評価☆☆☆
ジョンの魂/1970年
ビートルズが解散した年に発表されたジョンの実質的なソロデビューアルバム。
心の奥底の記憶を呼び覚ます療法を受けたことに影響を受け制作された作品であり、邦題の通りジョンの魂をありのままに写し取ったかのような生々しさあふれる名盤です。
感情表現を超えた心の叫びが響く”Mother”、ジョンの代名詞にもなった痛烈なメッセージソング”Working Class Hero”、哲学的な歌詞の美しいラブソング”Love”、過去から解き放たれ生まれ変わることを宣言する”God”、自らのアイデンティティに立ち返る”My Mummy’s Dead”とあまりにも率直な楽曲が並び、視聴するというよりジョンの精神に触れるような体験が味わえます。
評価☆☆☆☆☆
イマジン/1971年
ポップミュージック史上最も広く知られた楽曲の一つであり、ジョンの代表曲”Imagine”を表題曲にしたアルバムです。
強烈なメッセージと思想を投げかける”Imagine”、ナイーブな内面を赤裸々に綴った”Jealous Guy”、内面の叫びを社会への訴えと重ねた”I Don’t Want To Be A Solidier”と”Gimme Some Truth”、繊細で美しいラブソング”Oh My Love”、あまりにも純粋なラブソング”Oh Yoko!”とジョンの内省的な感情表現と攻撃的な社会へのメッセージが絶妙なバランスで混ざり合う傑作です。
評価☆☆☆☆
マインド・ゲームス/1973年
表題曲”Mind Games”のような従来通りの平和主義的路線の楽曲と、”Aisumasen”、”Out the Blue”のようなヨーコとの出会いや暮らしを懐かしみ恋焦がれるような楽曲が混在したアルバム。
穏やかで美しい楽曲が並ぶ反面、全体的に地味な印象はぬぐえません。
この年ジョンはヨーコと一時的な別居をしており、この経験がジョンの創作意欲を内側に向け、次作にもつながる好影響を及ぼしていると感じます。
評価☆☆☆
心の壁、愛の橋/1974年
ヨーコとの別居が続く中で、ジョンはミュージシャン仲間と親交を深めます。それはエルトン・ジョンとデュエットしたヒット曲”Whatever Gets You Thru The Night”を含む今作を生み出しました。
他にもファンキーな”What You Got”からブルージーな”Steel and Glass”、インストナンバーの”Beef Jerky”まで、幅広い音楽性を聴かせてくれます。
全体的な平均点が高く聴きやすいものの、飛びぬけた名曲がないのは物足りなく感じます。
評価☆☆☆
ロックン・ロール/1975年
制作自体が訴訟問題に端を発し、レコーディング開始後もトラブルに見舞われたいわくつきの作品。
ただ、内容自体はタイトル通りジョンがリスペクトするロックンロールの定番曲をカバーしたシンプルでオーソドックスなものになっています。ビートルズとしてデビューする前のハンブルグ時代には、これらのスタンダードナンバーをよく歌っていただけあって、制作背景とは裏腹にジョンのリラックスしたボーカルを聴くことができます。
評価☆☆★
ダブル・ファンタジー/1980年
主夫として家族と暮らした日々を終え、再出発を図ったアルバムであり、生前に発表された最後のアルバムです。
ジョンとヨーコそれぞれの楽曲が交互に収録されていますが、おもしろいのは前衛アーティストのヨーコの楽曲の方が時代性をとらえたポストパンク風の曲調やミュージカルの挿入歌風の曲調など、割とオーソドックスであることです。もちろんその表現方法には驚かされるものがありますが、音楽を創造するという点において、革新的とまでは言えません。一方のジョンは数年のブランクを経ているにも関わらず、シニカルな視点、ピュアなマインド、平和と平等主義的な発想、ヨーコへの愛と以前と変わらぬテーマを描きながらも、”(Just Like) Starting Over”、”Woman”という普遍的な美しさを持つ名曲を作り出しています。
評価☆☆☆★
ザ・ビートルズ1/2000年
ビートルズが英米のチャートで一位をとったシングルのみを集めたベスト盤。
ビートルズはファンに余計なお金を使わせないためにシングル曲はアルバムに収録しないという基本方針を持っていたそうです。それはアルバムをシングルを寄せ集めたお買い得商品から、アーティストの作品へと変えていきました。
有名曲を多数含んだビートルズの入門にも最適な一枚。
評価☆☆☆☆
さいごに
いかがでしたか?
誰よりも率直で、正直で、ピュアで、子どものような心を持っているからこそ、攻撃的で、皮肉屋で、嫉妬深い。そんな人間味がジョンの魅力であり、カリスマ的な存在感を放ちながらも、まるで昔からの友人のような安心感と共感をリスナーに与えてくれる理由なのかもしれません。
ぜひ、そんなジョンの魅力に触れてみてください。
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